書きたいものを書いていく日記

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タイムトラベルについて考えてみた②

過去の改変が可能であれば

親殺しのパラドックス

矛盾しないんじゃないでしょうか


何故なら改変した過去を、さらに改変すればいいのですから


自分が生まれる前の時代にタイムトラベルし、自分の親を殺す。結果として自分自身が生まれなくなるはずなので、存在しないはずの未来の自分が過去にやってきた結果、未来の自分が存在しなくなるという矛盾を来たす(親殺しのパラドックス)

ニコニコ大百科より


存在しないはずの未来の自分が過去にやってきた結果

とあるが、

存在しないはずの未来の「自分」さんは

親を殺しに行っていません。


と言うか観測すらされていません

そんな存在がいるはずと、「自分」さんが

思っているだけです。

殺すのを成功した「自分」と

存在しないはずの未来の「自分」は

別人です


つまり大百科に書かれている「自分」さんは

親から生まれ、過去に行き、親を殺す


存在しないはずの未来の「自分」さん(別人)は

そもそも存在すらしていない


と言う事になる。


そして大百科の「自分」さんは

この後さらに過去の改変をされているか、いないのかも

確認してないんですよね。


仮に確認する意識があろうとも、

天寿を全うした後から

過去を改変すれば分かりようがありません。


大百科に書かれている「自分」さんは

どうした所で、観測を最後まで出来ず

それ故に矛盾していると思い込んだまま

になるわけです。


そして二度目の改変により

親殺しに成功した「自分」さんと

存在しなかった「自分」さんとは別の

第3の「自分」さんが親殺しを阻止されます


第3の「自分」さん視点では

親から生まれ、過去に行き、親殺しを阻止される

となります。


そして成功した大百科の「自分」さんは誰にも認識されなくなります。


観測されていません

そんな存在がいるはずと、みなさんが

思っているだけです。


おやどこかで聞いたような。



タイムトラベルについて考えてみた

タイムトラベルもので、タイムパラドックスを発生させない為に


「過去に戻って親を殺そうとしたけど

なんやかんや妨害にあい、親殺しを失敗する」


と言うのがありますが、それを見て思ったのが


「矛盾さえ発生しなければ過去の改変は可能じゃないか」

でした。


確かに親殺しのパラドックスを回避し、

過去の改変を防いだように見えますが、

未来人とタイムマシン分の質量の増大(あるいは変化)と言う過去の改変は成功してます。


また、当然呼吸もしてるはずなので、酸素を二酸化炭素に変化させてます。


動いていることで、空気も動くわけですから、

バタフライ効果の蝶が羽ばたいてテキサスで竜巻ができるように

何処かの天候に大きく作用しているのかもしれません。無自覚に。


未来人に過去の改変が不可能であれば

そもそも過去に到着しない事になるはずです。

過去に到着した時点で過去の改変は可能(と言うか到着した時点で改変しちゃってる)事になります。


しかし到着しなかったらそれはそれで

別の矛盾が発生してしまいます。


「過去には行ったけど過去に行ってない」

と言う矛盾です。


じゃあタイムマシンを作らなければ…

→作ったのに作ってないと言う矛盾


じゃあ作ろうと思わなければ…

→思ったのに思わない

以下エンドレス


結局どれだけ遡っても矛盾があり続ける事になります。


過去の改変が不可能であれば

絶対にタイムマシンは作れない(作ろうと思うことさえ出来ない)事になります。


もしそんな世界ならばフィクションとはいえタイムマシンの発想があるものでしょうか?


その発想を元に、未来永劫においてまで、本気で作ろうと思う人が現れないものでしょうか?

とてもそうは思えません。


本気で不可能であるならばフィクションとしてですらその発想がないはずです。


その発想がある時点でタイムトラベルは可能であると思われます。


であるならば過去の改変は可能となります。